1994年、同じ年の夏休みに今度は、念願の長距離列車に乗って、上海からウイグルのウルムチへ行きました。
3泊4日72時間の旅でした。
車中は同じコンパートメントの中国人に中国語を習ったり、お茶を一緒に飲んだりして、楽しかったです。
中国人はみんな普通のビンを持ち歩いてて、それでお茶を飲んでます。
車内には、各コンパートメントごとに必ずお湯のポットがあり、車掌さんがお湯をいれてきてくれます。
ウルムチから2泊3日の寝台バスに乗ってカシュガルへ。
中国の寝台バスは、ほんとに寝台バスで、車内では2段ベッドに横になります。
最初見たときは信じられませんでした。
カシュガルは完全にイスラム圏で、人々の顔も違って、私にとって初めてのイスラム体験でした。
このときは、無謀にもウイグルからパキスタンに抜けて、行けるとこまで行こうと思っていました。
次は、カシュガルからバスで8時間ほど行った、パキスタン方面の街、タシュクルガンというところへ向かいました。
その途中、乗っていたバスが、下り坂で止まっていたトラックに突っ込み、割れたガラスで顔を切ってしまいました。
みんなバスを降りて、途方にくれていたのですが、そこへまた同じようにトラックが突っ込んできて、乗っていたバスは、土手の下に転がって行きました。
なんてとこだ???と思いました。
しばらくして、どこからどうやって伝わったのかわかりませんが、軍のトラックが、助けに来てくれました。
しかし、その考えは甘くて、タシュクルガンまで、一人いくらってお金取られました。
そうして無事タシュクルガンに着き、病院で顔を縫ってもらいました。
麻酔無しで、5針縫いました。
そのときは就職活動前なので顔に傷ができたらやばいなと思い、次の日また8時間かけてバスでカシュガルに戻り、飛行機でウルムチ→北京→香港を経由して、1週間くらいかけて日本に帰ってきました。
日本の医者は、抜糸の時、太い糸やなって言ってましたが、幸いガラスで切った傷だったので、キレイに治りました。